2012年10月19日金曜日

10/19 Today ザマの戦い(BC202)……小回りの利かない巨象軍団は役に立たなかった

常勝ハンニバルもこの戦いで遂に敗れ、カルタゴの命運が決まった:
ザマの戦い - Wikipedia: "ザマの戦い(ザマのたたかい)は、紀元前202年10月19日に北アフリカのザマで起こったローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。大スキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、第二次ポエニ戦争の趨勢を決した。"
ハンニバルは得意の象軍団(戦象)の突撃戦法をとるが、ローマ軍はすでに対処の仕方を知っていた。

両軍の配置の時系列:





ローマ軍の指揮官大スキピオはローマ軍を隙間を空けて配置する。戦象は前に進むだけなので、やって来たら横に避ければいいだけということがわかっていたのだ。カルタゴ軍は機動力のある騎兵軍団に後方を衝かれ、完全に包囲殲滅された。

「大艦巨砲時代」は紀元前3世紀にして、すでに終わっていたのである。


さて、戦後処理だが次のようなものだった:

ザマの戦いに敗れたカルタゴは、スキピオに講和を申し入れた。ローマの全権代表であるスキピオは10項からなる講和条約を提示した。以下、特に重要と思われるものだけをあげる。
  • カルタゴはローマの承諾なしには戦争を行わない。(これで実質のカルタゴは完全な自治国家とはいえなくなった)
  • 軍船は10隻を除き全てローマに引き渡す。
カルタゴは条約を受け入れた。これによって、カルタゴは海外領土および海軍力をほぼ喪失し、ローマの地中海における覇権が確立することとなった。
なんかどっかの国の無条件降伏と似ているが、ローマはこれでカルタゴを「いつでも滅ぼせる」という生殺与奪権を握ることとなる。 こういう条件を呑まされた以上、カルタゴ・ナショナリズムは自殺行為以外の何者でもなくなってしまう。現にカルタゴはその後、現実を直視出来ない連中のへんなプライドのおかげで自滅し〔第三次ポエニ戦争〕民族は物理的に歴史から消滅してしまう。

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